企業課題を解決するPRエージェントの登場—— パブリック・リレーションズの歴史をたどってみる【vol.3】

text by Yu Oshima(PR Table)

自分が関わっている仕事は、どのくらい昔からあったのか。そもそも発祥の地はどこなのか。どんな経緯、どんな背景があって、現代に受け継がれてきたのか——。考えてみたことがあるでしょうか? 日々、私たちが当たり前のようにふれていること。すべてのものごとには必ず、なんらかの”歴史”があるものです

 

もちろん、パブリック・リレーションズ(PR)にも。

 

目の前の仕事に一生懸命になっていると、なかなか過去を振り返っている余裕はないかもしれない。でも私たちが歩んでいる1本の細い道は、たしかに過去から現在へとつながれてきたもの。そこには、たくさんの資産があると思うんです。この道を切り拓いてきた先人の想いだったり、思いがけない起源や背景だったり。

 

そして、そうした歴史をたどることで、きっとこの先の未来が一体どっちに向かっていくのか……その道筋を示してくれる、ささやかなヒントも得られるはず

 

ではご一緒に、PRの歴史をたどる旅をはじめましょう——。

 

▼ vol.1から読む
PRの発祥は19世紀のアメリカ—— パブリック・リレーションズの歴史をたどってみる【vol.1】

PRの舞台は政治から民間企業へ—— パブリック・リレーションズの歴史をたどってみる【vol.2】

広報エージェントの役割を明確にしたアイビー・リー

マスメディア(新聞)の発展、大手企業の相次ぐ広報部門設立と、企業を取り巻く環境が大きく変化していた20世紀はじめのアメリカ。そこで、現代にも通じるパブリック・リレーションズの理論や手法を開発したのが、アイビー・リー(Ivy Lee, 1865-1934)です。

彼は広報エージェントとして、さまざまな企業の課題をPRの手法を使って解決に導いていきました

当時はパブリック・リレーションズの概念がまだまだ浸透しておらず、広告との明確な区別もなされていなかった時代。企業が新聞に対して報酬(賄賂)を払い、自社にとって都合のいい記事を掲載させたり、広報エージェントが面白おかしく創作した内容を、新聞に掲載させたりするケースもありました。

そんな中、記者の仕事を辞めてPR会社を設立したアイビー・リーは、広報エージェントとしての立ち位置を明確にするため、自身の広報方針をまとめた『行動規範宣言(Declaration of Principles)』を新聞社に示しています。

この宣言の最大の特徴は、企業が発信する情報の「正確性」「透明性」を重要視していることです。

この宣言は、資本家や企業が自身の利益を追求し、社会(=Public)に対する配慮などなかった時代の風潮に一石を投じるものとなりました。

アイビー・リーはこの宣言をもって、広報エージェントとしての立場や責任の所在を明らかにしたといえます。

「第三者」としての立場から、パブリック・リレーションズを実践

彼はクライアント企業が抱えるさまざまな課題に対し、パブリック・リレーションズの手法を用いて解決へと導いていきました。

そのひとつが、クライシス・マネジメントです。

1902年、ペンシルバニア州で起きた炭鉱者ストライキに端を発した騒動は、アメリカではじめて政府の介入をまねくほどの規模に発展。過酷な労働環境の改善を求め、労働者たちによるストライキが行なわれることになりました。

その解決のために、1905年、炭鉱会社側が広報担当者として採用したのがアイビー・リーその人。

彼は、広報エージェントである自分の立場を「経営者と労働者、どちら側でもない」としたうえで、双方の間に入る第三者であることをまずは明示しています。

そして炭鉱会社側で行なわれている社内会議や、交渉の議事録など、重要な情報を次々とオープンにしていきました。

新聞に「事実」が掲載されることによって、会社側・労働者側それぞれの言い分が明確になり、公平な視点から世論がつくられていったのです。

オープンかつ透明性のある情報発信を。クライシス・マネジメントのさきがけ

さらに彼が活躍したクライシス・マネジメントの事例のひとつに、1906年に発生したペンシルヴァニア鉄道での脱線事故があります。

19世紀にアメリカで急速に普及が進んだ鉄道路線。しかし事業独占やサービスの欠陥はもちろんのこと、頻繁に発生する事故に対して、一般市民の不安や不満が大きくなっていました。

しかし当時の鉄道会社は、事故の事実を隠し、情報開示とその広がりをなんとか止めようとする傾向があったといいます。

しかしアイビー・リーは、事故が起きるとその状況を把握したうえで、すぐに情報開示に踏み切ります。事故が発生したその日から、会社側からのステートメントを毎日発表。現在でいうところの、プレス・リリースの活用です。

こうしたオープンな情報発信によって、新聞各社は正確なニュースを掲載することが可能となりました。情報を隠し続ける他社との比較の中で、ペンシルヴァニア鉄道の対応は記者たちの賞賛を浴びることになったそうです

現在にも通じる「パブリック・リレーションズ」の基盤が生まれた

20世紀はじめの広報エージェント、アイビー・リーの活躍について紹介してきました。しかしどの事例も、現代の企業課題に通じる側面がありますよね。

今回はクライシス・マネジメントを取り上げましたが、企業のCSR活動やエンプロイー・リレーションズなど、彼が広報エージェントとして、時代にさきがけて取り組んだ事例はさまざまあります。

このようにアイビー・リーがパブリック・リレーションズの手法を用い、企業の課題解決に取り組んだことによって、現在にもつながる「広報エージェント」の基本的な役割がかたちづくられていったのです。

 

——— vol.4につづきます————

<参考文献>
河西仁(2016)『アイビー・リー -世界初の広報・PR業務-』 同友館.
猪狩誠也(2007)『広報・パブリックリレーションズ入門』 宣伝会議.
井之上喬(2006)『パブリック リレーションズ 戦略広報を実現するリレーションシップ マネジメント』 日本評論社.

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