2019年12月12日で創業5周年を迎えたPR Table。人が年を重ねるとともに考え方や性格を変えていくように、PR Tableの性格も“大人”へとアップデートしていこうという考えをもとに、取締役・菅原弘暁がさまざまな方との対談を通し「多様性」を学んでいくという本企画。

連載第4回では、多様性×漫画メディア「パレットーク」の編集長としてLGBTQ+、フェミニズム、多様性、人権などの問題を発信し続ける、株式会社TIEWA代表のAYAさんにお話を伺いました。ビジネスシーンにおけるジェンダーバイアスや複雑化していくダイバーシティに対し、私たちPRパーソンはどのように向き合っていくべきなのか。同じく経営者としての視点も絡めながら、菅原と腹を割ってとことん語り合っていただきました。


Profile

AYA
多様性×漫画メディア「パレットーク」編集長。1992年生まれ。新卒でIT企業に入社し、ゲーム事業部に所属。その後転職を経て2018年5月に「Palette」を立ち上げ、2019年9月にフォロワー3万人を記念して「パレットーク」としてリニューアル。株式会社アラン・プロダクツで「人の性のあり方・多様性への考え方を変える」事業部の事業責任者を務めた後、株式会社TIEWA代表取締役CEOに。

菅原弘暁 Hiroaki Sugahara
1988年生まれ、神奈川県出身。2011〜2015年、大手総合PR会社(株)オズマピーアール、内1年間は博報堂PR戦略局に在籍し、外資スポーツメーカーから官公庁、リスクコミュニケーションまで、幅広い広報業務を担当。その後、国内最大級共創プラットフォームを運営する会社でPR・ブランディングに従事し、2015年9月より(株)PR Tableに参画。採用やPR、広報などのセミナー・カンファレンスに多数登壇する。


無自覚のバイアスにより、マイノリティが“ないもの”にされる社会

菅原弘暁(以下、菅原):先日の国際女性デーに際し、フェミニズムに関する議論がいつも以上に活発に交わされる様子をSNSで目にしました。ことビジネス界隈においては、大手企業であれスタートアップであれ、ジェンダーバイアスが依然として根深く存在している。個人の意識を変える以上に、企業の文化を変えていくのはなかなか難しいことですよね。

AYAさん(以下、AYA):同感です。『TIEWA』はまだ1期目のスタートアップなのですが、企業文化という点では、「誰の言うことも軽視しない」というバリューを掲げています。例えば社員が育休や産休を取りたいと思ったとき、「この会社であれば誰に相談しても嫌な顔をされないだろう」という社員の心理的安全性を確保したかった。そんな私の想いに賛同してくれるメンバーが集まっています。

菅原:なるほど。過去の僕自身を思い返すとまさにその逆で、「この人に相談したら嫌な顔をされるかも」と社員に思わせてしまった時期があるような気がしています。もちろん僕にそのつもりはなかったのですが、反省すべき点だと思っていて。

AYA:実は社員のその思い込みも、一種のバイアスなんですよ。バイアスというとマジョリティからマイノリティ、あるいは強者から弱者に向けられるものを想像しがちですが、弱い立場の人間が「自分の言うことなんてきっと聞いてもらえない」と感じるのも、実は無意識のバイアス。もちろん立場が弱い人のほうが不利益を被りやすいから仕方ないのかもしれないけど、どんな立場の人でも、知らず知らずに何らかのバイアスに支配されている。

菅原:この対談連載を含め、半年ほど「多様性とは何か?」というテーマと向き合っているうちに、僕の中にあったバイアスは少しずつ外れていっている気がしているのですが、やはり多くの人は無自覚に支配されていると感じますね。マイノリティの存在に気づくどころか、自身がマジョリティであるという自覚すらない。当然、自分の発言が相手を傷つけていることにも気づかない。

AYA:日本では特に、悪気のない差別を繰り返す人が多いと感じます。マイノリティの存在が、まるで“ないもの”にされてしまう。そこには当然社会的文脈が絡んでいるはずなので、個人を責めることはできません。私たちにできるのは、その人がどんな環境で育ち、今現在どんな思想にどっぷり浸かっているのか想像すること。そして知っておいてほしいのは、マイノリティの人たちに“説明責任”はないということです。

菅原:説明責任、ですか。

AYA:1割のマイノリティが9割のマジョリティに対し、自分たちのことを説明する義務はないということです。「そんなんじゃ伝わらないよ」と言われたとしても、特にエンタメに昇華して面白くわかりやすく伝えるといったやり方は、ただでさえ尊厳を傷つけられ辛い思いをしているマイノリティがやることではない。ただそんな状況でも、必死に声を上げている人たちもいます。その声をマジョリティが跳ね除けることは、一番してはいけないことなんです。そこでTIEWAがやろうとしているのは、マイノリティにとってのセイフティネットになること。例えば「パレットーク」というメディアをプラットフォームに、マイノリティの気持ちをわかりやすく“翻訳”するといった形で。

誰もが「一人の人間」であり、同じスタート地点に立つ権利がある

菅原:マイノリティが努力する義務はないとおっしゃいましたが、恥ずかしながら半年くらい前までは「どんな立場や境遇であれ、頑張れない人なんていない」と思っていました。僕も会社をつくるとき、給料が少なくても人の何倍も働いて努力してきたという自負があるので、「頑張れない」なんて言い訳だろうと。

AYA:叩き上げで頑張ってきた方が自己責任論を語ることはよくありますし、私もずっとベンチャーにいるので実感としてよくわかります。でも少し深く潜ってみると、性犯罪被害者の声がなかったことにされたり、LGBTの人たちが社会から弾かれたりする中で、当事者が声を上げて周囲に理解を促すというのは過酷なことです。であれば、その分マジョリティ側が頑張れることってあると思いませんか。

菅原:今ではその感覚がよくわかるんです。「ジェンダー平等を願う」という表現における「平等」って、どちらかというと「公正・公平」に近いと思っていて。例えば、背の高さが違う3人の子どもが柵の向こう側を見たいとしたら、全員に同じ高さの台を与えることが「平等」。背の高い子どもはもっとよく見えるようになり、中くらいの子どもは見えなかったものが見えるようになる。でも、小さな子どもは相変わらず見えないままです。じゃあ「公正」とは何かというと、子どもの背の高さに応じて台の高さを変えることなんですよね。背の高さが違ったとしても、見える景色を同じにすること。

AYA:そうですね、スタート地点がそもそも違うということに気づくことができれば、公正に接するための手段が考えられる。おっしゃったように、努力を求められるのは誰にとっても一緒なんですよ。ただそこでバイアスが邪魔をしているならば、何らかのアクションが必要です。職場における女性の待遇に置き換えるなら、目の前にいる女性を「一人の人間」とみなして、公正にチャンスを与えることが企業には求められる。

菅原:PR Tableでは、少し前まであえて「マッチョイズム」と誤読されてもよいと割り切って、会社の価値観を発信していました。採用にあたり会社の体質を説明するときに、どちらかというと”強者の論理”を示していた。それは、会社として実力が足りないフェーズにおいて、幸せにできない人を採用してはいけないと考えていたからです。ある地点まではスピード感を持って屈強な人材だけで進む。ただその先に、必ず多様な人材やスキルが必要になるだろうと予測していました。それに備えて、自分たちがどう変わるべきか?と考えはじめたのが半年前です。

AYA:屈強な人材の中には、もしかするといわゆる「雄っぽさ」に居心地の悪さを感じる人がいるかもしれないですよね。逆に、女性であってもそういうノリについていけてしまう人がいるかもしれない。一方で、成長フェーズによっては似たような人材を集めて進む方が早いということも真実です。ただし、人が増えていくにつれて自然と多様な人材が集まってくるはず。そこで企業が考えなくてはならないのが、目の前の社員をどのように幸福に働かせながら、同時に利益を生み出すかですよね。そこで初めてダイバーシティへの理解が必要になる。

菅原:機会損失を生まないために、ですね。

AYA:そうですね。採用には当然お金がかかります。「自分は他の人と違うかもしれない」「言いたいことがあるのに言い出せない」と疎外感をおぼえている社員を切り捨てるのではなく、いかに社員同士がいいシナジーを生み出す場所にできるか考える。相互に関係し合いながら社員同士のウェルビーイングを進めることは、決して社会貢献・福祉的な意味合いだけではなく、企業として賢く生き残っていくためには必要不可欠なんです。

フェミニズムはみんなのもの。もっとオープンに語られていい

菅原:僕が昨年「Lady knows Fes 2019」に参加したのは、フェミニズムについて知らないことばかりだと自覚していたからです。ちょうどいい機会だと思って気軽に参加したのですが、来場者のほとんどが女性で。それこそ「フェミニズム=女性の話」というバイアスがかかっているんじゃないかと感じました。

AYA:「知らないから行ってみよう」と考えられたのはとても素敵ですね。フェミニズムについての男性の反応って、「俺には関係のないことだ」「自分はきちんと理解している(つもり)」ほぼこの二択が多いですから。

菅原:確かに。そして同時に、フェミニストの方に対して「失礼なことを言ったら怒らせてしまうかも」といった怖れを感じている人が多い気もします。

AYA:そもそも、「フェミニスト」という言葉に対する理解が曖昧になっているのではないかと思います。フェミニストというのは、怒りを持って活動をしている人のことではありません。人を人として扱うこと、ジェンダー平等を願う人のことだと私は理解しています。そして、フェミニズムに関わりながら私のようにそれを仕事にしている人間は、仮に失礼な発言を受けたとしても、本人が不注意なだけではなく背景にも問題があると認識している。その人の立場や悪意にもよりますけど、いきなりめちゃくちゃ怒るということはないと思います。ただ、冷静でいるということが、必ずしも怒りを表現するよりも優れているわけではないですよね。どちらのスタンスを取るにしても、同じように社会を変えていきたいという気持ちがある者同士、連帯していきたいというのがフェミニストの共通の想いとしては大きいと思います。

菅原:僕はジェンダーバイアスによって窮屈さを感じたことはないんですが、仕事をする上で自分がマイノリティだと感じたことはあります。本来「パブリックリレーションズ」の略であるPRを、「プロモーションでしょ?」「プレスリリースだよね」と誤解されたり、広告代理店時代にはプレゼンで最後の5分ですら時間をもらえなかったこともあります。ジェンダー差別とは問題のレベルは違えども、やっぱり尊厳を傷つけられるのは辛い。僕自身も知らないうちに他職種に対するバイアスを持っているかもしれないので、そこは対話をするしかないんでしょうね。

AYA:「状況を考えれば、誤解されてしまうのも仕方がないよね。だったらこういう考え方はどう?」というスタンスもすごく大事です。「怖がられてでも、強い意志を貫いて偏見をなくしたい」と願う人の道を塞いではいけないけれど、余力がある人はアプローチを変えたって構わない。菅原さんはもともとマッチョ的な考え方を持っていたとおっしゃいましたけど、マッチョな人は似たようにマッチョな人の意見の方を聞くかもしれませんし、ご自身が最近変わってきたというような体験をぜひ発信してほしい。私たちはまったく違う世界にいながらも、そこで連帯できると思うので。

菅原:フェミニズムへの理解が足りない人間は迂闊に発信してはいけないのでは? といった声もありますよね。

AYA:専門的な勉強をしたフェミニストの語ることだけが正解というわけでもないですよ。「私はこういう体験をして、こう感じた」「私はジェンダー平等を願う、以上」それくらいラフでオープンなものでいいと思うんです、フェミニズムを語ることって。「女性」というラベルを貼られることで尊厳が傷つけられてしまう社会になってはいないか? そのアンテナを誰もが大事にしていけばいい。

菅原:多くの男性がそうであるように、ラベリングによって傷ついた経験がない人であっても、身の回りの人がジェンダー差別によって苦しんでいるのを見ていれば疑問や怒りをおぼえるのは自然なことですよね。そこでどんなアクションを取るのか。個々が自分らしいスタンスでフェミニズムと関わっていけばいいのではないかと僕は思います。

フェミニストとして、哲学的な問いにどこまでも向き合い続ける

マイノリティの中にも、「せっかく隠れて生きてきたんだから、あまり騒ぎ立てないでほしい」という意見もあるそうです。あるいは、ジェンダー差別による明らかに不当な待遇を受けていても、平和に働いている女性たちもいると。でも「それはそれで生き方のひとつ」だとAYAさんは言います。

「全員が納得する形を目指すのは本当に難しく、突き詰めても、おそらく哲学のように答えが出ないんだと思います。それでも、ああでもない、こうでもないと議論を戦わせながら、社会の中でより幸せな人が増える方へ働きかけていきたい」(AYAさん)

フェミニストが「ジェンダー平等を願う人」を指すのであれば、きっと世の中の多くの人はフェミニストだと言えるはず。ジェンダーギャップ指数世界121位(2019年、内閣府男女共同参画局調べ)というこの国で、私たちは何を感じどう生きるべきなのか。これからも問い続けていきたいと思います。(編集部)