PRの本質は「事件」であり「商品」である──クラシコム 青木耕平さん

text by Kento Hasegawa
photo by Takuya Sakawaki

現代のPRにとって、「動画」は一つの重要なツールになりました。社員インタビューしかり、プロダクトの紹介しかり、SNSを最短速度で駆け抜けるGIFしかり。テキストと静止画が主流であり続けたWebの表現空間は、通信環境の整備やスマートフォンの台頭を後ろ盾に、動画というフォーマットが影響力を日増しに持ち始めているのかもしれません。

ただ、その動きは歴史に裏付けられたものであった、という話もあります。PRの研究者である東京大学の河炅珍助教は、1950年代に日本で活用された「PR映画」についての研究を進めていました。企業のアイデンティティを表現するものとして、あるいは当時の日本人にないライフスタイルを紹介するものとして、映画という「動画」が活用されたのです。

参考)東京大学・河炅珍助教「現在の動画ブームと、1950年代のPR映画に共通する“仕掛け”がある」

そんな折の4月末、Webメディア業界に一つのニュースが届きました。主軸は雑貨やアパレルを販売するECサイトでありながら、オウンドメディアや国内有数のInstagramアカウントの実践例など、さまざまな文脈で捉えられることの多い「北欧、暮らしの道具店」が、短編ドラマ『青葉家のテーブル』を発表。

細部まで徹底的に作りこまれた世界観とストーリーは、視聴者から大きな反響を得ただけではなく、まさに企業にとってのPR(Public Relations)を体現しているようにも映りました。

このドラマは、図らずも河助教が指摘した「PR映画」の文脈の先にあったのか、あるいは別の狙いが据えられていたのか。「北欧、暮らしの道具店」を運営するクラシコムの青木耕平代表にその意図を伺うなかで、PRの本質を改めて見つめ直すことができる言葉と出会えました。

 


Profile
青木 耕平さん Kohei Aoki

株式会社クラシコム 代表取締役

1972年生まれ。2006年、実妹と株式会社クラシコム共同創業。2007年秋より北欧雑貨専門のECサイト『北欧、暮らしの道具店』を開業。現在は北欧雑貨のEC事業のみならず、オリジナル商品開発販売、広告、出版、オリジナルドラマ製作など、多岐にわたるライフスタイル事業を展開中。


あの短編ドラマに意図はなかった。ただ、いい匂いがした。

─ 率直に伺うと、『青葉家のテーブル』を製作した意図は何だったのでしょうか。

青木さん(以下、敬称略):「意図」と言われると、実はすごく難しいんですよね。正直に言うと「意図は無い」が本当の話なんです。

えっ、無いのに、コストもパワーもかかる「短編ドラマ」を……?

青木:もともとは1分ほどのウェブで展開するプロモーションムービーを作ろうと、友人経由で制作会社を紹介してもらいました。その会社は、以前に僕が観て素晴らしいと感じた動画を作っていたんです。打ち合わせをしているうちに、制作会社から「連続ドラマを作ってはどうか?」と提案され、想定の6倍くらいの見積もり書が出てきたんです(笑)。

その時点でも作り手である彼らへの信頼感や共感はありましたが、動画というより「ドラマ」をつくることに一体どんな意義があるのか、どんなものができあがるのか、まったくわからなかった。ただ非常に、本能的に、いい匂いがするなぁと。

─ やってみたら何かが立ち上がってくる予感みたいな。

青木:よくわからないけれど、とりあえず乗っかってみたら、この先の数年を支える大きなタネになるかもしれないって感じたんです。あくまで勘ですが。

でも、個人的には、それこそ「頑張る価値」があることだと思っているんです。やる前からうまく説明できることは、逆に言えばそれほど大したパワーがない。うまく説明できないけれど、「なぜこれほどにやる気が出たり、乗り気になったりするんだろう?」と感じることを見つけるのがクラシコムにおける僕の仕事かなと、いつも思っているので。

─ それで「意図は無い」の理由がわかりました。そもそも、最初にプロモーションムービーを作ろうとしていたのは、なぜでしょうか。

青木:「プロモーションムービーを作る」というのは手段であって、結局は上手に損する方法を考えたかったんですよ。端的に言えば、継続的なブランディングのためには、お客さまから「自分はありがたいけれど、彼らは損をしているな」と思われることが重要なんです。

─ 受け手が得をした気持ちになり、むしろ事業者が心配されるような状態ですか。

青木:つまり、どう考えても損しているように見える取り組みなんだけれども、大きなエコノミクスで捉えると回収できるから成り立っている、という状況がつくりたいわけです。

たとえば、僕らが2012年にメディア化に舵を切ったときは、社員数は6名で、誘導するための広告や出店していた楽天市場の運営も全部やめた。「そんなに記事を無料でつくってくれるのはいいけれど、どうやって食べていくの?」と、最初はみんな思っていたはずです。

それが2014年くらいから「コンテンツマーケティング」という言葉が当たり前になっていき、そんな言葉を全然知らずに日々のコンテンツをつくっていたけれど、その枠組みで僕らも説明されるようになった。「コンテンツをつくることで儲かる」という図式の種明かしが、言うなれば外部から行われてしまったことによって、おそらくもうコンテンツを作っているだけでは「狂っている」ように見えないんですよね。

─ 狂っている、ですか。

青木:要するに、ブランディングとは「狂っているエピソードの積み上げ」なんだと考えているんです。外部から思われたい姿という目標値に向かって、そのエピソードを積み上げていくことなのだろうと。

ロゴマークを見るだけでブランドを感じるのではなく、ロゴマークから紐づく「狂ったエピソード」や「卓越したエピソード」をいくつか想起できるからブランド価値があるわけです。だからこそ、狂って見えないのは、ブランディングにならないんですよ。言うなれば、魔法が解けている状態ですね。ここ3年ほどのクラシコムも「どうやって魔法を取り返すか」がひとつのテーマでした。

たとえば、お客さんしか来られないカフェをつくって、ログインIDを入力するとドアが開く。しかも、無料でコーヒーが飲めて、全国の都市で展開する……これならニュース性もあるし、いい感じに「狂っている」なぁ、とか。

その答えのひとつに映像が当たったわけです。映像製作から、今はもっと大きく「映画をつくる」と思って動いているんですが、お客さまどころか自分たちだって収支の合わせ方が全然わかっていないくらいだから、これは「狂っている」としか思えない。同業他社も収支モデルが不明瞭なので真似しようにもできない。

でも、僕らとしては裏側でエコノミクスが組み上がっているから、映画によって1円も回収できなくても、実は何の問題もなかったりするわけです。こんなふうに「表からは狂って見えるのに、裏側は狂っていない」というエコノミクスの構築こそブランド経営の腕の見せ所なんでしょう。このことが見えたのは、僕らのとても大きな学びでした。

映像に関するコスト感覚やエコノミクスの有り様、さらに自分たちがそれを再現するときにどういったイノベーションを積極的に起こせるかもわかりました。結果として、僕らとしては映像や映画をつくることが「新しい狂い方」として非常に効率の良いテーマなのだろうと思っているところですね。

映像は誰にとっても正解になるものではない

─ そして「狂っている」という状態だけではダメで、新しさや正しさも必要になると。

青木:そうそう。いつの瞬間を切り取っても正しく狂っていることがブランドをつくっていくし、狂い続けていくことが「ブランドと顧客の約束」なのだと思います。「いつも感心させてくれる」とか「安心感を与えてくれる」とか。いずれにしても、ある方法で卓越感を出すという約束をしていて、それを守り続けるともいえますね。

─ それだけに、ビジネスの規模が大きくなったり、軌道に乗り始めたりすると、次第に狂い方のハードルも上がっていく……。

青木:残念ながら「ビジネスの成功」と「ブランド価値」は逆相関の関係ですね。クラシコムでいえば、6人の会社でコンテンツを作って儲けているのは「狂っている」けれど、現在のように全社員が50人を超える会社でコンテンツを作っても、「それだけ人がいたらできますよね」と見られる。

ビジネスの成長と同時に、より大きい勝負をしていかないと、ブランドを引き上げていくことができないわけです。ただ、ある一定のサイズまで大きくなったら、ブランドの「運用」はできるようになっていくのですが。

たとえばAppleも、すこし前まではiPodの裏側を鏡面仕上げにしているだけで「すごい!」と言われていた。でも、今では誰も驚かないでしょう。だからこそUFOみたいな新社屋を建てるのも、結局は「狂っている」エピソードづくりでしかないはずです。あれを建てることでの経済合理性みたいなものは短期的に見ればないですから。あるいは、DMM.comが『CASH』のバンク社を70億で買収したのも、そうかもしれないですね。

─ なるほど、AppleやDMM.comにとっての施策が、クラシコムにとっては映像だった。

青木:だからこそ、僕らがしていることは「一般解」ではありません。比較的小さい会社にありがちな制約事項の中で、最大限に自分たちが幸せにやっていくには、今これしかないという選び方をした「特殊個別解」に過ぎないんです。

だから、誰にとっても映像が「新しい正解」にはなりません。『青葉家のテーブル』の公開以降に「これからはドラマコマースだ!」といった言及も散見しましたが、僕らの商品を売るのにこれほどのお金をかけていたら、絶対にペイしませんから(笑)。

 

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PR3.0 Conference 企業と「個」の新しい関係構築

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リレーション構築そのものが、あらゆる事業における「本業」

─ クラシコムが製作した短編ムービーは、意図も経済合理性もなく、おそらくPRという観点からも作られてはいないのでしょうね。

青木:今回、PRを軸に僕らを取り上げていただいているのは大変光栄だし、ありがたいです。ただ、僕らがつくっているものが「PR動画」なのか、あるいはマーケティングを目的にしたものなのかを考えると、非常に抽象度が高いレベルで考えれば合致するかもしれませんが……どうか、といったところですね。

僕らからすれば「お客さまに見せたらすごく喜ばれるんじゃないのかな?」ってことしか考えていないんですよ。むしろ、それに対するキャッシュポイントの見つけ方はイージーな課題です。僕はいつも、本質的な価値さえ作れれば稼ぐことは容易だと考えています。最も難しいのは本質的に、理屈抜きに、「いいね」と思われることをやれるかです。

─ これは他のインタビューでもお答えになっていたところですが、『かもめ食堂』が今だに根強い人気を持つように、顧客の心を強く残る作品が少なかったという外部環境もある。

青木:加えて言うと、映像というマーケットで商業として成り立つレベルのプロフェッショナルなコンテンツは、放送と配給でしか経済が成り立っていません。そうすると、マスに刺さる企画しか基本的には流通しにくいわけです。そうすると、僕らのお客さま向けの企画は当然少なくなる。

一定以下のニッチなニーズを持っている人たちに、応えられてこなかったのが映像業界なのでしょう。そこは巨人たちの中にあって、僕らみたいな小さな会社が取り組む意義がある場所なのだろうと感じます。

─ では、青木さんの目から見て、「PR動画」の可能性はいかがでしょうか。

青木:PR動画は結局続かないと思うんです。かつては、そういったものも確かにあったけれど、それとは関係なくコンテンツで楽しませようという民間の配給会社が発展したときに、おそらく淘汰されていった。仮に僕らがPR動画をつくったとしても、映画の枯渇期においては存在感を出せたでしょうけれど、現在では難しいのかなと。

それでいうと、僕はオウンドメディアはまったく似たものだと思っています。かつては『洋酒天国』や『花椿』といった企業誌が人々を楽しませていたものの、雑誌文化が花開くにつれて存在価値を失っていったのでしょう。その系譜があることを考えると、「現在が過去に近づいている」という見立ては間違っていないと感じつつ、現在ではPR動画を製作しても意味を成さないと思います。

なぜなら、すでに動画コンテンツは十分すぎるほど花開いた後で、企業がマーケティングの意図を1mmでも込めて作ったものが、なぜお客さまの時間を専有できると思えるのか。それがわからないからです。

─ 観るものがないなら、まだしも。

青木:だから僕らが製作する映像は宣伝やマーケティングを全く考えず、完全に新しい「プロダクト」として見ています。最終的に広告費のロケーション先として考えているんじゃなく、それ自体を商品としてマネタイズしていくことを考えている。クラシコムの事業として、小売業、広告業の次に「興行ビジネス」を検討しているのも、それが理由です。

─ そこは一つのキーになる考え方だと感じます。多くの方がPRから「プロモーション」という言葉を想起するのですが、そうではない。PRは「パブリック・リレーションズ」ですから、あくまで会社としての在り方であり、それそのものが事業であるという捉え方をすべきだろうと。

青木:リレーション構築そのものが、あらゆる事業における本業ですよね。だから、何かのためにパブリックリレーションズするのではなくて、パブリック・リレーションズするために商品をつくるという感覚なんです。

─ お客さまとの良い関係を構築するための商品づくりだと。

青木:おそらく、単純にモノが足りなかった時代は、関係性がない人にも買ってもらえたのでしょう。ただ、一定のモノが行き渡った現在に、「なぜ縁も縁もない人から買わなきゃいけないの?」という疑問は当然起こる。

つまり、サービスも商品も飽和した世の中において、本質的な商品というのは「関係性」なんですよね。関係性があるから選んで買う。商品の良さでは選ばれていないというのが、僕は本質的なところだなと思っています。今はあらゆる企業が「ブランディング」や「PR」という言い方をしていますが、結果的には自分たちの在り方を築き、自己紹介したうえで、それにフィットする人たちと関係性を構築することが利益の源泉になっている。それならば、自分の在り方にフィットした商品をつくろうとしていくはずじゃないですか。

かつてPRは、プロパガンダ的な側面を持っていたわけですが、それは自己紹介ではなく「在るべき姿の啓蒙」だった。でも、今はその啓蒙はたぶん求められていなくて、あるとしても「現状への問いかけ」や「思考フレームの提供」ということだろうと。

最高のPRは「知りたい」と思ってもらえる状態をつくること

─ 現代の話でいうと、アパレルブランドのSupremeにも近しいものを感じます。彼らは親友しか相手にしない。顧客はSupremeと友達になりたいと思っている。誰かがそれを「マイメンビジネス」と喩えていました。

青木:おお!面白い!僕らもマイメンビジネスなのかも(笑)。

─ それを表現する時に、映像は有効に働くツールになりえるのでしょうか。

青木:映像の有効性は正直まだわからない段階にあります。処理速度や情報転送はテキストの方が以前高いわけです。ただ、僕らのお客さまは働いている女性が多い。彼女たちは一日の中で使える自由時間が限られているといいます。

ふっと空いた1時間に、映画を観たときに感じる心のストレッチや、ちょっと感受性が動いたといった感覚で、心の柔らかさを認識できるのはすごく良い機会じゃないですか。この機会を得ることには、みんな興味がある。でも日々の中で映像を見る1時間を捻出し続けるのは多くの人にとっては難しい。

だから、提供者側に求められているのは、どうやったらそれをより短時間であるいはパラレルで活動しながら楽しめる形に整えるなど、効率的を起こせるコンテンツを用意してあげられるか。それは初期から課題設定にありました。僕らがいま「ラジオ」といって音声コンテンツの配信に取り組んでいるのも同様の考えからです。

─ マイメンビジネスや今のお話は、PRに置き換えて考えやすいと思います。これまでは「何を、どうやってPRするか」に目が行きがちだったけれど、そもそも「誰とリレーションを築くのか」「どういう状態で受け取ってくれる人なのか」を定義できているかが大きいのだろうと。

青木:最高のPRがあるとしたら「知りたい」と思ってもらえる状態をつくることではないでしょうか。

要するに「知って!」という活動をしていると思われることは、押しばかり強くてモテたがっているような人に見える。でも、それは今、ちょっと付き合い方としてツラい(笑)。むしろ「ミステリアスな人で気になる……」という魅力が伝わることこそ本質的な「モテ」じゃないですか。だから、「広報しないといけない状況」が、すでに負けている状況なんですよね。

先ほど話した「狂っている」と見えるというのも、「僕たちのこと知ってよ!」と説明するポーズは見せてないのに、人知れずみんなが「なんかすごいことをしているね」って、寄ってきてくれることに近いのかなと思いましたね。

だから、PRは「コミュニケーション」でも「説明」でもなくて、本質的には「事件」をつくることなんでしょう。そのニュースこそが関係性をつないでいくんです。

PRは表面をなぞっただけのコミュニケーション活動から脱するべき

クラシコムには専任の広報担当者がいないーー私たちは事前にこのような情報を入手して取材にのぞみました。そして青木さんとの対話を通して、クラシコム は「PRはしているけど広報はしていない会社」なのだなと感じました。あらゆる事業においてリレーション構築は「本業」であるという考え方は、他でもないPRパーソンこそが誰よりも強く認識しなければならないことです。その「本業」にコミットしてこそ、Public Realtionsに従事していると胸を張って言えるのではないでしょうか。(編集部)

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