働き方改革の推進や個人の働き方の多様化により、企業と社員との関係性は大きく変わりつつあります。しかし多様化の促進によって、社員との関係性や自社への求心力構築に、多くの企業が悩みを抱えているように感じます。
今回は東京神谷町・光明寺僧侶 松本紹圭さんに、企業が社員との関係構築を考える上で、長い歴史のある仏教の視点から見る組織の在り方について伺いました。

 


Profile
松本 紹圭さん Shokei Matsumoto

浄土真宗本願寺派光明寺僧侶、未来の住職塾塾長
1979年、北海道生まれ。未来の住職塾塾長。武蔵野大学客員准教授。東京大学文学部哲学科卒。2010年、ロータリー財団国際親善奨学生としてインド商科大学院(ISB)でMBA取得。2012年、住職向けのお寺経営塾「未来の住職塾」を開講。2013年、世界経済フォーラム(ダボス会議)のYoung Global Leaderに選出される。著書に『お坊さんが教えるこころが整う掃除の本』(ディスカヴァートゥエンティワン)他。


「無畏施」の組織をつくる

従業員に自社のカルチャーを浸透させ、エンゲージメントを上げるために、企業は何をすれば良いのでしょうか。

松本さん(以下、敬称略):これまでの組織はある意味、自社のカラーに組織を染め上げるような形が多かったように思います。しかし昨今、それでは上手くいかなくなってきました。

ではどうすれば良いかというと、私は一人ひとりの内発的動機を大切にすることを提案します。そのためには、個人の中に生まれた思いを疎かにせず、抑圧せず、発信することを良しとする文化の醸成が重要です。

仏教には「無畏施」という言葉があります。「お布施」というと自分の財産を手放すことをイメージする人がほとんどだと思いますが、お布施には「財施」「法施」「無畏施」の3種類あるのです。「無畏施」とは、「畏れを無くしていく布施」です。自分も相手も「おそれ」のガードを外していることが、建設的なコミュニケーションの基盤になります。

企業は従業員が健やかに、やりがいを持って働ける企業文化を作りたいはず。それを実現するには、互いに信頼し、各々が思っていることを言い合える環境を作ることが大切です。

心理的安全性をいかに担保するかが重要なのですね。

松本:そうです。もちろん、ビジネス環境によっては当然競争が激しいこともあるでしょうし、ついていけない人は出ていかざるを得ない厳しい部分もあるでしょう。ビジネスが上手くいっていなければ、心理的安全性も何もありません。

だからこそ、お互いに思っていることを包み隠さず、言葉にして話し合える環境が必要なのです。畏れがあるから、取り繕ったり隠したり、攻撃的になったりするのです。その「畏れベース」のカルチャーをいかに変えていくかが、大きなポイントなのではと思います。

畏れのない環境を作るために、具体的にどうすれば良いのでしょうか。

松本:私はお寺を次世代へ存続・発展させるために宗派を超えた学びの場を作っています。ご存知の通り仏教にはさまざまな宗派がありますが、これまで異なる宗派同士の交流はそれほど盛んではありませんでした。人間関係ができていなければ、いきなり対話しようと思っても難しい。

そこで私が始めた「未来の住職塾」では、共通の目標を持つことにしました。宗派による教えは違いますが、檀家さんがいて法事があって、各々の環境は違えど、お寺の在り方やお寺を預かる立場であることは一緒のはずです。自分の属するお寺を良くしたいという共通の思いで、お互いに学び合い、同じ釜の飯を食えば、みんな仲良くなります。すると、宗派が違っても親しい友だちに聞くような感覚で話せるようになるのです。そこにもはや畏れはありません。

コミュニケーションの壁は、どちらか一方にあるわけではないので、双方の働きかけで壁はどんどんなくなります。組織ではリーダー的な立場にある人から、率先してガードを外す、心の鎧を脱いでいく。そうすることで、だんだん「こんなこと言ってもいいんだ」と組織文化も変わっていくのではと思います。

心の鎧を脱ぐ勇気を持つ

「同じ釜の飯を食う」といっても、企業によっては世代間ギャップが大きくて難しいのではないでしょうか。

松本:確かにギャップはありますね。上の世代のほうが「畏れベース」のコミュニケーションで過ごしてきた傾向が強いように思います。鎧をどれだけ厚くできるか? で勝負してきた世代とも言えます。

でも若い世代はそのコミュニケーションで育っていません。若い世代が「畏れベース」の企業文化に放り込まれると、「自分は今ここにいて良いのだろうか?」というように「居る」ことに対して罪悪感を持つ人が増えます。

ここにいて良いのか不安だから、努力するか我慢する。これだけ努力しているのだから、こんなに我慢しているのだから、ここにいても良いはずだ、となっていく。慣れ親しんだ習慣を手放すのは難しいものですが、このやり方で自分の存在を保とうとするのは、決して健全とは言えません。

「畏れベース」の組織には、他にどんなデメリットがありますか。

松本:「畏れベース」の組織だと、「○○専務が作った事業だから潰せない」など、全体の合理的な判断とは異なる判断基準で行動することがあるわけです。また、自分を必要以上に大きく見せて「こんなにやってきた」と自己アピールすることもあるでしょう。このように、エゴとエゴのぶつかり合う環境では共創は阻害され、イノベーションが生まれにくくなります。「畏れベース」の組織作りはもはや時代遅れなのかもしれません。これを変えるには、リーダー層や上の世代の方々に、相当な自己変革の覚悟が必要だと思います。

「畏れベース」の人が自己変革をしたいと思ったものの、どうすれば良いか分からないという場合、どんなアドバイスをされますか?

松本:まず自分の抱えている「畏れ」に気づくことが大切です。歳を重ねると自己変革しにくいのは当然です。例えば、スピードをつけて走っている車が方向展開をするには、まずスピードを落とさなくては曲がることができません。何かに気づいても、急には変われないのです。

悟りを得れば一瞬で世界が変わる、と思う方もあるかもしれませんが、たとえ仏道修行を極めた僧侶であっても、長い年月をかけて形成された心の癖はなかなか抜けないものだと聞きます。それでも諦めずに癖を外そうと意識すること、「いつもの癖のパターンに陥っているな」と気づくことが大切なのです。その癖に気づくために、瞑想やマインドフルネスなどでもいいですし、仏教に限らず自分の生き方や在り方を振り返る時間を持つのが良いのではないでしょうか。

鎧を厚くしていくことを成功だと考えてきた人にとって、鎧を脱ぐことは「畏れ」につながります。しかし鎧を脱いでいく、癖を手放していくことに喜びを感じられるようになれば、そこから変わることができるはずです。

「自灯明・法灯明」の仲間を持ち、自分の心と向き合う

とはいえ、なかなか鎧を脱げない人はどうすれば良いのでしょうか。

松本:良き仲間を持つことが非常に大切です。何をするにしても、1人では迷いが生じることもありますし、なかなか続きません。数は少なくてもいいので、「俺はこんなに鎧を外したんだ」と言いあえるような仲間を持つと良いと思います。

完璧にはできないし、以前の癖に戻ってしまうこともあると思います。大事なのは、そういうときに「またやっちゃった」と気づけるか。会社の同僚が相手だと、なかなか弱みを見せにくい場合も多いと思います。会社以外の仲間を持てると良いですね。

会社以外の「良い仲間」をどうやって見つければいいのでしょうか。

松本:そういう人にも来ていただきたいなと思って、光明寺では「Temple Morning」というお寺の朝掃除の会をやっています。2週間に1回くらい、朝7:30〜8:30まで、出勤前のみなさんに集まっていただき、一緒にお経を読んで掃除をします。

掃除は幅広い世代の居場所づくりになると思います。座禅はハードルが高いし、仏教の勉強会は何だか難しそう。でも掃除は誰でもできるし、自分のやり方ですればいい。掃除をすることで「ここにいてもいい」と思えます。仏様にご奉仕したというか、多少なりとも価値を出した感がある。出番があるから居場所が生まれると感じる人も多いのです。

さらに掃除はエゴが増長しにくいですよね。「俺のほうが広いエリアをやったんだ!」と言っても、どうってことないというか(笑)。参加する難易度が低く、競い合う要素が少ないので、優劣がつきにくい。掃除は仲間づくり、居場所づくりに本当におすすめです。掃除はあくまで一例ですが、会社以外のつながりを作ることに慣れるのが第一歩です。

松本さんの考える「良い仲間」とはどういう人ですか?

松本:仏教に「自灯明・法灯明」という言葉があります。「自らを灯火とし、法を灯火とせよ」という意味で、法は仏教の法を指します。自灯明とは、自分を拠り所にする、自律心。自分の人生は誰にも代わってもらえません。そのことを理解しておかなければ、依存的在り方になってしまうことを戒めている言葉だと思います。

「仲間が大事」が意味するのは、一人ひとりが自分の人生を引き受け、自分の頭で考え、自分の足で歩んでいく。そして、同じように自分の足で歩むことを大事にしている仲間を持つこと。とにかくグループを作ろう、組織を作ろうということではなく、自律した人たちが仲間として歩んでいく。私はそんな風に考えています。

仏教はその歩みをサポートする存在と捉えれば良いのですか。

松本:捉え方は人それぞれで良いと思います。お釈迦様の教えは、誰も洗脳しようとしていません。自分の組織を作ろう、俺の言うことを聞け、ということでは決してありません。一人ひとりの異なる状況に対して教えを説き、その人自身が気づきを得ていく。それをひたすらサポートされているのです。

一人ひとりに対するアプローチが異なることを「対機説法」と呼びます。機というのは「機根」、能力や素質を意味します。一人ひとりの違いに対応し、説法をしていくということ。コーチングに近いかもしれません。

自ら気づきを得るためには、どうすれば良いでしょうか。

松本:気づきは「やってくる」ものなので、プロセスをデザインするのは難しいでしょう。ただ、「このままでいいのかな?」という思いが、多少なりともあることが大事です。もやもやしていたり、どこか不安を感じたりするなど、自分の心の中の引っかかりや不安、畏れ、苦しさに蓋をしないでください。自分の心と向き合うのはしんどいので、蓋をしている人は多いと思います。

鎧を厚く着込んでいる人は、今まで上手くやってきているからこそ「これでいいのだ」と思いたくなります。周りも自分も心に蓋をしているから、このまま逃げ切れるのではと思っているかもしれません。でもどこかで「このままだとダメかもしれない」と気づいているはずです。

「逃げ切った人生」には、何が残るのでしょうか。人生は有限で、最後にみんな死にます。人生最後にみんな何を後悔するかというと「こんなに金があるのに、使い切らなかった」ではなく、「あのとき、なぜあの扉を開けなかったんだろう」という後悔が多いと聞きます。モヤモヤしていたり、不安だったりするのは、まさに扉を開けるサインです。そのサインがなければ、開ける扉自体が現れませんから。

何が開くのか分からないけどやってみる。その勇気を出してみる。そこに人生の豊かさがあるのではないでしょうか。

自分の心と向き合うことで「やってくる」気づき

チームの生産性、パフォーマンスを上げる方法として注目を集める心理的安全性。ここ数年で数多くの日本企業でも組織に取り入れようとする動きが多く見られるようになりましたが、その考え方が遠い昔から存在していたこと、さらにそれが仏教の教えの中で脈々と受け継がれていたことに驚きを覚えました。

心理的安全性のある組織をつくる、畏れベースの組織をなくす為には、どうしても自分以外の何かを変化させることに目がいきがちです。しかし、まずは自分自身(企業も個人も)としっかりと向き合い、心の鎧をチェックすることが、良い関係構築の始まりになるのだと思いました。

そしてその一歩が企業経営、個人の人生を豊かにすることにも繋がるという多くの「気づき」が生まれることを願います。(編集部)