2度の渡米とキャリアチェンジ。 ブレない軸があったから、専門家としての道が開かれた

text by Yu Oshima(PR Table)
photo by Yuka Uesawa

いまは順調に仕事ができていても、5年先、10年先はどうなる――? ふと未来の自分に思いをはせるとき、そんな不安が拭いきれなくなることはありませんか。

「広報・PRのスキルがある人材が足りてない」「メディアリレーションができる人を探している」「情報発信に長けている作り手はいないか」――いま、広報・PRに課題を抱えている企業はたくさんあり、力のあるPRパーソンはきっと、引く手あまただと思います。

ただ当然のことながら、現時点で求められている “スキル” が、この先もずっと不変であるとは限りません。というより、これからの時代、それらは想像以上のスピードで進化していくでしょう。

これから先、自分自身が岐路に立たされたとき、どんな選択をしていくべきか……。

いくら自分ひとりで考えていても、きっとなんのヒントも得られない。だから、この道の先を歩む先輩たちに、話を聞いてみることにしました。

今回お話をうかがったのは、新聞記者として10年、PRコンサルタントとしてさらに10年のキャリアを持ち、2017年現在はご自身で事業を立ち上げ、「コミュニケーションストラテジスト」として活躍されている岡本純子さん。現在、PR Tableの顧問を務めていただいています。

その経歴の表層だけをたどってしまうと、はじめから明確な目標をかかげ、計画通り着実にステップアップを重ねてこられているような印象を受けます。でも私たちが抱いたそのイメージは、どうやら大きく異なっていたようです。


Profile
岡本 純子さん  Junko Okamoto
コミュニケーションストラテジスト。読売新聞社経済部記者、電通パブリックリレーションズコンサルタントを経て、2015年7月に株式会社グローコムを設立。コーポレートコミュニケーションの造詣が深く、米NYにて学んだグローバルスタンダードをもとに、企業経営者や幹部を対象としたリーダシップコミュニケーションのプログラム等を開発・提供している。

多くの日本人に実践的なノウハウやスキルをわかりやすく伝え、日本のコミュニケーションにイノベーションを起こすべく、活動の幅を広げている。早稲田大学政治経済学部政治学科卒、英ケンブリッジ大学院国際関係学修士。米MIT元客員研究員。


「はじめは天職だと思った」憧れの仕事、新聞記者としての10年

― 今日は、岡本さんがこれまでのキャリアをどのように選び取ってこられたのか、いろいろと教えてください!

エラそうに語るのもおこがましいのですが……。決して、プロアクティブに自分でキャリアを切り拓いてきたわけではないんです。流れに逆らわないで進んできただけ、というか。

ずっとブレていないことがあるとすれば、ふたつだけです。ひとつは、必ず「そのときしかできないこと」を選んできたこと。そしてもうひとつは、「コミュニケーション」が常にコアにあること。

― 岡本さんにとっては、新聞記者の仕事も「コミュニケーション」が軸であるという認識だったのですか?

はじめから、ハッキリ意識していたわけではありません。そうとらえるようになったのはずっと後のことです。

新聞記者は中学生の頃から憧れていた職業で、そこから高校、大学、就職まで、もう一直線に突き進んでしまいました。記者の仕事はとってもエキサイティングでしたから、「これが天職だ!」なんて思ったりもしてね。

でも記者になって10年が過ぎたとき、結婚してライフステージが変わったのを機にアメリカにわたることにしました。そこでひとまず会社を辞め、キャリアの“一時停止ボタン”を押したような気持ちでしたね。仕事は歳を重ねてもできるけど、結婚や出産を含め、家庭のことができるのは今しかない。そう考えた末の選択でした。

ただ結果的には、渡米後の経験が記者の仕事を捉えなおすきっかけとなり、その先のキャリアにつながる大きなターニングポイントになったんです。

すべてはコミュニケーションの手段。アメリカで叩き直された価値観

― アメリカで、どんな出会いがあったのでしょうか。

比較メディア学を研究しようと思い、2001年からMIT(マサチューセッツ工科大学)に籍を置くことにしました。ただ当時の私は、「メディア」といえば新聞をはじめとする「マスメディア」であるという認識しかもっていなくて。

でもMITでは、「メディア」自体がもっともっと広く「コミュニケーションの手段のひとつ」として捉えられ、先進的な研究がなされていました。マスメディアの視点しか持っていなかった私は、そこでメディアに関する認識をイチから叩き直されたんです。

― それが、「コミュニケーション」というテーマとの出会いだったのですね。

そう。日常会話からマスメディアによる情報伝達まで、すべてがコミュニケーション。こんなにもポテンシャルに満ちた、奥の深いテーマがあったのか……と実感させられました。MITでの学びを経て、今度はマスメディアとは違う視点に立ち、コミュニケーションがもつ別の側面を見てみたいと思うようになったんです。

― 岡本さんがそこまで、「コミュニケーション」というキーワードにひかれたのはなぜだったのでしょうか?

私、子どもの頃からコミュニケーションが苦手だったんですよ。とにかくいろいろな劣等感を抱えていて、それとひたすら戦ってきた人生だったというか。

― そうなんですか……! それは意外でした。

そう。だから、どうすれば人と恥ずかしがらずに話せるんだろう、どうしたらもっとうまく人に伝えられるんだろう……ということを、ずっと考え続けていました。自分のコンプレックスをどう克服するかが、そもそもの根底にあったと思います。

戦略的にステージを創り上げていく、PRの仕事との出会い

― 3年半アメリカで過ごされた後、帰国して今度はPR会社に入社されていますね。なぜ「次はPRの仕事をしよう」と思われたのですか。

私は10年間、マスメディアでコミュニケーションの仕事をしてきた。じゃあ次は……? と考えたとき、たまたま「記者経験者歓迎」という電通PRの求人広告を目にしたんです。正直にいうと、当時はPR会社が何をしているところなのか、あまりよくわかっていませんでした。でも今になってみると、あのとき私は人生で一番いい決断をしたのではないかと思っています。

― そう思えるのはなぜでしょう?

PRの仕事って、ものすごく懐が深いですよね。新聞記者時代はみなさんが作るステージやパフォーマンスを最前列で観て、それを記事にして伝えるのが仕事でした。でもPRは、裏方としてそのパフォーマンスを戦略的に創り上げていく仕事だと思ったんです。ここならいくらでも、自分がやっていきたいコミュニケーションの仕事を実現できるじゃないか、と。

― 実際に、PRコンサルタント時代はどのような案件を手がけていらっしゃったのですか?

自分自身の経験を活かしたメディアトレーニングなど、経営広報の仕事をすることが多かったです。記者時代は、さまざまな企業の経営者の方とお会いしていましたから。商品やサービスのPRではなく、主にレピュテーションマネジメント(企業の評判向上)や、クライシスマネジメント(危機管理)などを担当していましたね。

そしてあらゆる経営者のみなさんと接するうちに、メディアトレーニングにとどまらないサポートをしたいと考えるようになりました。そこで在職中に、総合的なリーダーシップ・コミュニケーションのプログラムを作って提供することにしたんです。

― それはPRの仕事を通じて、日本の経営者の方々が抱える共通の課題を感じてのことですか。

そうです。経営者はメディアに出るときに限らず、常にあらゆる人とコミュニケーションを取らなければなりませんよね。私は、活躍されているトップリーダーのみなさんが、圧倒的にコミュニケーションにこだわっていらっしゃるのを目の当たりにしてきました。とにかく熱量がものすごくて、それがダイレクトに伝わってくる。

ただ日本の場合、どうしてもまだまだ熱量を全面に出すのを良しとしない風潮があります。淡々と静かに構えているのが美徳というか。でも今は日本を飛び出し、グローバルな舞台で戦わなければならない時代です。トップが低体温のままでは、人も社会も十分には動かせません。

コミュニケーションというものは、企業にとって最も重要な資産です。そうした価値観が、日本ではあまり根付いていないですよね。コミュニケーション自体に苦手意識を持っている経営者の方もすごく多くて。

周囲との対話ができていない状態は、身体の中に健康で立派な血管があるのに、血液がスムーズに流れていないのと同じ。それを放置していたら、深刻な病気になってしまいます。だから私は、“血液をきちんと流す”お手伝いをしたいと思うようになりました。

2度目の渡米で得た新たな視座、そして法人設立へ

― PRコンサルタント時代に感じられていたトップリーダーに対する課題感は、現在のグローコムの事業とも通じていらっしゃいますね。PR会社から離れて2015年に独立されるまでに、どのような経緯があったのでしょうか。

実はPR会社で10年働いたタイミングで、また家庭の事情で渡米することになり、仕事を辞めました。コミュニケーションについての新たな視座が得られる、よい機会だとも思って。

アメリカでは、コミュニケーションが学問的な見地から多角的に研究されていて、そうした知識を学べるワークショップや講義などの場がたくさんありました。そこで「企業のPR」と「個人のコミュニケーション力向上」、2つの観点からもっと学びを深めていくことにしたんです。

特に、「帰国したら独立しよう」と決めていたわけではなかったですね。また就職してもいいかな、くらいで。ただちょうど、これまでの実績と知見をもとに執筆活動をはじめることができたので、その取引のために法人を作ることにしました。

― それが、現在の活動内容につながっているのですね。

そうですね。ひとつ目が企業のPR、ふたつ目が企業リーダーやビジネスプロフェッショナルへのプレゼンやスピーチのコーチング、3つ目が執筆活動。今はこの3つの仕事が軸となっています。

自分自身のコアを大切に、境界線を越えていく

― ライフステージが変化するタイミングで、キャリアに悩む人も多くいます。女性は特にそうですよね。岡本さんは10年ごとに2度の大きなキャリアチェンジを経験されていますが、その選択はご自身にどんな影響をもたらしたと思われますか?

結果論かもしれませんが、自分の置かれている環境を一度リセットしたことで、また違う視点を得ることができました。“今いる場所”からあえて離れてみることで、はじめて気づくこと、見えてくるものもあるんじゃないかなと思います。

― 新聞記者として10年、PRコンサルタントとして10年。間に2度の渡米をはさまれて、現在はご自身で事業を展開していらっしゃる——。今回はそのキャリアを振り返っていただきましたが、今、あらためて感じることはありますでしょうか。

自分としてはずっと流れに乗ってきただけのように思うのですが、やはり岐路に立ったときに軸となるものを持つことは大事ですね。私の場合は、「コミュニケーション」と「今しかできないことをやる」という2つの基準がありました。

私自身のコアに据えるものとして、「コミュニケーション」を選んで本当に良かったと思っています。今も、そしてこれからの時代もずっと求められるスキルですから。社会的なニーズも高いですしね。

― 「コミュニケーション」の定義はなかなか難しいですよね。岡本さんご自身はどうとらえていますか?

「つなぐこと」です。言葉と言葉、言葉と企業、人と人、人と企業……。コミュニケーションのプロとして、その役割を果たしていきたいですよね。本当にいろいろな可能性があって、さまざまな手法を試していけるのはすごく楽しいことです。

― 「つなぐこと」を軸として、これからはどのようにお仕事をされていくのでしょうか。

日本人も日本企業も、素晴らしいコンテンツがありながら、それを伝えるデリバリー、つまり伝え方で苦労しているところがあります。その魅力を伝え、企業やビジネスプロフェッショナルの「発信力」を強化するお手伝いをし続けていきたいと思っています。

また進化が早い時代だからこそ、できる限り「ボーダーレスでいる」ことを自分に強いているところもあります。

PRは、社会や組織の中でボーダーを越え、あらゆるものの接点をつくる仕事じゃないですか。だから自分自身もあまりひとつの場所にとどまらずに、境界線を意識しすぎることなく、どんどんボーダーを越えていけたらいいですよね。そういうキャリアの描き方、人生設計があってもいいと思っているんです。

人生の岐路で、私たちは何を軸に道を選ぶのか【取材を終えて】

本当はもっと聞きたいこと、たくさんあったんです。海外のPRトレンド、企業PRの最新事例、ストーリーテリングについて……。そこをぐっとこらえつつ、今回はご自身のキャリアについてじっくりお話をおうかがいしました。

岐路に立ったときに、どんな基準をもって道を選んでいくのか。思い切って環境を変えてみれば、新たなトビラも見えてくる、ということ。これからキャリアを重ねていくうえで、大切なことを教えていただいたように思います。

ここに書ききれなかったお話もたくさんあるので、それはまた後日……。
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