カリスマ創業者はもういない。おかしいことは「おかしい」と言えるニュートラルな視点が会社を動かすーーパナソニック・則武里恵さん

text by Yusuke Arai
photo by Takuya Sakawaki

大企業――素晴らしい伝統や歴史、古くからの慣習があるからこそ、チャレンジに二の足を踏んでしまいそうな、見えない大きな壁があるイメージ……。

そんな大企業のPRパーソンは、さまざまなステークホルダーとどのように関係構築をして、成果につなげ、見えない壁を乗り越えて活躍しているのでしょうか。

今回は1918年 3月創業、資本金2587億円(2018年6月時点)、日本人なら誰もが知る大企業・パナソニック株式会社のコーポレート戦略本部経営企画部未来戦略室・則武里恵さんを尋ねました。

パナソニックは、今年(2018年)創業100周年を迎えました。

その周年事業の一環として、2016年2月に東京・渋谷で、株式会社ロフトワークとカフェ・カンパニー株式会社の三社協同による、100個のプロジェクトがうごめく実験区「100BANCH」を開設。則武さんは、この拠点を立ち上げ時からリードしています。

そんな彼女に、パナソニックのような大企業が、100周年という大きな節目に、なぜ35歳未満の若年層のための実験区「100BANCH」を実現したのか。そして、大企業という制限がかかりそうなフィールドで、どんな経験をし、どんな想いで様々な関係を構築したのか。“則武さんらしい”大企業でのPublic Relationsのお話を伺いました。

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※ここでの大企業とは「資本金5億円以上、または(前身も含める)数十年の伝統や商材・ブランドを有する」と定義します。


Profile
則武 里恵さん(Rie Noritake)

パナソニック株式会社 コーポレート戦略本部 経営企画部 未来戦略室
岐阜県生まれ。神戸大学で途上国におけるジェンダー・コミュニティー開発を学んだ後、パナソニックに入社。広報として、社内広報、マスコミ向け広報、IR、展示会、イベントの企画・運営など、さまざまなブランディング活動を担当。2016年2月より100周年プロジェクトを担当し、2017年7月、渋谷に「未来をつくる実験区 100BANCH」を立ち上げた。


野心的な若者の挑戦で未来をつくるために

——2018年に創業100周年を迎えたパナソニックにとって、100BANCHは、どんな位置付けのプロジェクトなんでしょうか?

則武さん(以下、敬称略):次代を担う若い世代とともに、次の100年の価値創造に挑む取り組みですが、Public Relationsの観点でいえば、次世代ブランディングの一環と位置付けることができると思います。

パナソニックは若年層とのコミュニケーションが減少しています。以前は携帯電話、ヘッドホンステレオなどの商品があったので、高校生や大学生に買ってもらうことで接点がありました。しかし現在はそういう商品があまりなく、BtoBの事業も増えている。そういった状況の中で、対外的なコミュニケーションや社外との関係構築に対して、何か新しいやり方はできないかと考えていました。

マスを通じたブランディングやコミュニケーションでは関係を構築できない層が、若い世代を中心に確実に増えています。であれば、対象は限られていても、もっとエンゲージメントが高い関係性がつくれる取り組みができるのではないか。そして、若年層に対して、もっと大胆に挑戦できる場を提供したい。そんな思いから、100BANCHをスタートさせました。一緒に挑戦することで、より深いコミュニケーションができるようになっていると思います。

——100BANCHは、ターゲット層である若い世代がアクションを企てるプラットフォームであるだけでなく、パナソニックとの関係構築の場としても機能しているんですね。

則武:最近は100BANCHを通じて、パナソニックのカルチャー変革にもつなげたいとも考えています。社内外に関係なく、特に野心的な若者の活動を中心に、いろんな人たちが、スピーディーに、失敗を恐れずチャレンジしていける社会に移っていくような働きかけをしていけたらと思っています。

パナソニックの創業者である松下幸之助は、23歳の若さで創業しています。自らが考案したソケットをつくりたいと、ものづくりの経験もなく、たった100円の資金で起業しました。普通に考えると無謀ですよね?

もし私が友達だったら「やめといたら?」と言ってしまうかもしれないけど、そんな青年がつくった会社から多くの事業が生まれ、今では社会のいろいろなところでご活用いただいています。であれば、100年後に当たり前になっている光景は、今は無謀に見える若者の挑戦からはじまるかもしれない。若者にフォーカスした背景には、そんな思いがありました。

——100BANCHのようなプロジェクトが、ロフトワークやカフェ・カンパニーといった他社とのコラボレーションで運営されていることは、大企業が必要とする枠を維持しつつ、その枠から踏み出した可能性に挑戦していくための機能を担っていそうです。

則武:100年先を考えるときに私たちだけでできることには限界があります。100BANCHのコアプログラム「GARAGE Program」では、35歳未満のリーダーを対象に、100年先を豊かにするような価値創造に挑んでいるプロジェクトを公募しています。その採択も社外のメンターが選んでくださっています。

これも、メンターがひとりでも応援すると決めたら即採択。メンターがひとりでもおもしろいって言ってくれたら、ちょっと先まで踏み出せると思うんです。未来への多様な可能性を追いかけていくことで、おもしろい場になるんじゃないかと思っています。

——あえて他社やメンター、野心旺盛な若年層との関係構築を経るようにしている理由はありますか?

則武:正解がない時代に、何かコトを成し遂げるときって、いろんな人の協力が必要だと思うんです。

そういうときに必要になるスキルは、大企業のなかで必要だったスキルとはちょっと違うのかもしれません。100BANCHが目指していることは、「つくる人を、つくる」です。異なる考えやスキルを持った人たちと一緒に何かを産み出す活動を通じて、これから必要とされるスキルがここからどんどん輩出されるになっていくといいかなと思っています。

そして、場の熱量を大事にしています。意志の強い人が集まるからこそ化学反応は起きる。だから100BANCHでは「すべては野心ある個人の“WILL=意思”からはじまる」という思想を一番尊重して運営しています。社内においてはどうしても「CAN=実現可能性」が重視されがちですが、そこでも意志がどこにあるのか、どんな未来をつくりたいのかを問いかけるようにしていますね。

▲この日も多くの方が未来のために実験、研究などをされていました。

——100BANCHは、実際にパナソニックにとってどんなバリューを産んでいると、社内で認められているのでしょうか?

則武:それはまだまだこれからだと思っています。ただ、パナソニックとして、様々な未来の可能性に対しての守備範囲を広げるトレーニングとして、100BANCHには価値があると、私は捉えています。

今の強みの領域がコアになるとしても、次の時代の価値創造を考える際には何らかの分野と結びついていくでしょう。その時に、ここにいろんなメンバーがいることによって、広がっていくネットワークは確実にあって、それこそがパナソニックにとってのバリュー。今後ますます必要になることだと感じています。

—— 3年単位のような短期間に対して、パナソニックはKPIを設けていないんでしょうか?

則武:従来型のKPIでは計れない場所という理解をしてもらっています。スタートするときにも、例えば次世代ブランディングを考える際に、50〜60代の層がすぐにわかるものであってはいけないですよね?でも、先へ進めるために、100BANCHが、若年層にとってどういう存在になり得るのかということは、繰り返し伝えましたね。自分には理解できないかもしれないけど、そういう世界があるんだということを認めてもらったからこそ、100BANCHをはじめることができました。できあがってようやく、社内でも、これまでの尺度とは異なる何かを産んでいける場所なんだと感じてくれる人が増えてきたと思います。

——従来型のKPIが当てはまらないものへの挑戦は、会社にとって大きな決断ですね。それを許されたのには、則武さんへの期待というか、信頼もあったのではないかと思います。

則武:やったことがない取り組みですし、うまくいかない可能性だってある。でも、最後は「やらせてください」という言葉に対して、「やったらええやん」と背中を押してもらえた。うれしかったですし、その期待や信頼を裏切りたくないと思いますよね。

▲プロジェクト一覧が壁に張り出されている

信頼を築く道のりの入口

——信頼がどのように築かれていったのか、則武さんがパナソニックに入社した経緯から教えてください。

則武:大学では、途上国におけるジェンダー・コミュニティー開発を専攻していたんですが、そこで感じたのは、途上国支援の問題は、どれだけやっても太刀打ちできない次元にあるということ。そんなときに、海外で工場を見る機会があったんです。多くの雇用を創出し、工員の子どもはちゃんと教育を受けられる。雇用をたくさん生み出せるってすごいなって思ったのが、メーカーに興味を持ったきっかけです。

就職活動では、メーカーのほかにマスコミを受けました。メディアの持つ、人の気持ちや行動を変える力はすごいと思っていたからです。パナソニックに入るまで、広報を仕事にするとは思っていなかったんですが、メーカーとマスコミ、その両方に接点を持てるという意味で、今思えば、広報配属になってよかったと思いますね。

今は、少し広報とは離れたプロジェクトを担当していますが、広報時代の経験がなかったら100BANCHはできなかったんじゃないかと思います。

——欠かすことができない経験になったという広報業務で、則武さん自身は何が大事なことだと思っていますか?

則武:広報の仕事は、ニュートラルであることが大事だと思っています。世の中ではどうなのか?というところが判断基準にならないといけない部門だから。会社の論理だけに囚われないという意思は、もしかしたら大企業にいたから、より強く持つようになったのかもしれません。おかしいことは、おかしいと言えなければいけない。

また社内報を担当していたころは、経営の方向性を示す「公式発表」の部分と、ジャーナリズムの中間になるように心がけていました。社内報は社員にモチベーションを沸き起こし、会社の進むべき方向にリードしていくもの。ニュートラルな視点と、社員と経営、両方を理解する姿勢が重要だと教わってきました。

——視点をニュートラルに保つことが大事だとしても、人が目を通す限り編集にバイアスがかかることは避けられませんよね?

則武:そうなんです。若い頃に、本当に世間知らずでわからないことがたくさんあるなか、自分のフィルターを通して書いたものが13万人に行き届くことが怖くなり、書けなくなった時期がありました。その時、上司にこう言われました。

「そういう偏りが出るのは当たり前のこと。本当にその瞬間の則武にしか書けないことがあるし、読者の胸を借りるつもりで書くしかない。それがこの仕事だから。新入社員なら新入社員の視点で書けばいい」

この時に、誰にでも視点の偏りがあり、それぞれ違っていいんだと受け入れられた気がします。それも今につながっているのかもしれませんね。

メッセージに込めた会社にとって重大な指摘

——その後、どんな進路をたどりましたか?

則武:2006年の2月までは、基本的に広報と名がつく部門にいたような気がします。その中で、メディアを通じたPRだけではなく、ダイレクトコミュニケーションにも取り組むようになっていました。ワークショップやハッカソンをやったり、1000人で運動会ならぬチャンバラ合戦をやったり…。メディアをつくっているときにどうしても超えられない壁のようなものを感じて、もっと人に深く刺さる実体験をつくってみたかったんです。

一見、ふざけた取り組みもありますが、私は遊び心が大事だと思うんです。おもしろいと思わせる要素を組み込むことが、協力してくれる人が現れるかどうかの分かれ道じゃないかな。やるべきことや正しいことを言うのもその通りですが、正しさを振りかざしているだけでは何も変わらないんじゃないかと思っています。

その後、Public Relationsの視点やノウハウを周年事業に生かしてみたいと、100周年事業に参画する形で、経営企画に異動しました。

——100周年事業ではどのようなお仕事をされていたのですか?

則武:100周年総合事務局として、若手の意見を提案に生かすタスクフォース運営や、インターナルコミュニケーションを中心に行っていました。インターナルコミュニケーションにおいては、かすかだとしても、社員一人ひとりの行動が確実に未来につながっていることをちゃんと意識できるようにしたいと、Webサイトや告知文にもメッセージを込めてきました。

パナソニックの課題として話すと、松下幸之助という、数手先まで見渡せるようなカリスマ創業者の存在が大きくて、それに続く形で発展してきたという歴史があります。一方で、誰か先に走ってくれる人を求めてしまう風潮がある気がしていて。知らず知らずのうちに、行く先を示してくれるカリスマを求めてしまうんでしょうね。

でも、そんなカリスマは現れない……。

成功領域を探すことは難しいし、課題もいっぱいあるけど、自分たちでやらなければ、誰も代わりにはやってくれない。だから、「私たちの未来は自らの手でつくっていこう!」という想いを込めました。

大企業で信頼を得る秘訣

——改めて社歴をたどってみて、信頼感を保つためにどのような心がけをしていたと思います?

則武:頼まれた仕事に対しては、少なくとも期待並みに働きたいと意識していました。日常的に求められる仕事にちゃんと向き合うプロセスは、他の社員に伝わると思うんです。

社内報の企画を1本立てるにしても、調べられるだけ調べて、会社の方針と照らし合わせ、私なりに何通りもストーリーを構築していました。「企画をひっくり返されそうになっても、絶対に自分のほうが考えているって気持ちでいきなさい」。そう言ってくれた先輩がいたので、上司ともよくぶつかりましたね(笑)。でも、ダメっていわれたところで食い下がらず、何か質問をすれば、ヒントがもらえるんです。

そうやって、相手の考えていることと自分のつくるものが、だんだん合っていく。コミュニケーションの総量を増やしていくためにも、物怖じしないことは大事だと思っています。

わからなければ、その場で聞く。怒られることもあるけれど、聞かないと先に進めません。自分の目的を共有できていけば、関係性は築けるし、少々のことではへこたれないと思ってもらえていたことも、お互い腹を割って話せる安心感につながっているような気がします。

——新しい取り組みに障壁が生まれがちな大企業で働く人にとって、則武さんが心がけていた社内の信頼を得る関係構築はとても良いヒントになりそうです。

則武:新しい取り組みをはじめないことを選ぶほどの理由になる障壁ってないと思うんですよ。大企業だから難しいって、自ら囚われているんです。「やれる!」って思えば、きっとはじめられますよ。

何にも囚われないーー自分ブランドを確立させたPRパーソン

則武さんは、大企業だとか会社だとか、部署だとか、こうでなくてはならないとか、慣習とか、ありとあらゆる固定観念に全く囚われていませんでした。むしろ大企業にしかない大草原を、余すとこなく楽しみ、走り続ける少女のようでした。

自分の経験や考えの積み重ねを糧に、“則武ブランド”を確立し、周囲にも認めさせ続けているから、囚われる必要がないのだなと思いました。

「正しさを振りかざしているだけでは何も変わらない」

「コミュニケーションの総量を増やしていくために、物怖じしないことは大事」

「『やれる!』って思えば、きっとはじめられる」

則武さんの言葉から、たくさんの学びがありました。現代に松下幸之助イズムを受け継ぐ、パナソニックの財産的PRパーソン。

これから100年先のパナソニックには、きっと彼女の実践するPublic Relationsが活きていることでしょう。(編集部)

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